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日本ホスピス在宅ケア研究会 初世栄

     報告者 介護支援専門員 初世栄(55)           
シンポジウム:地域の相談窓口・退院支援の現状と課題
           ―医療ソーシャルワーカーの立場からー
       
7月6日(土)9:00~11:30   東札幌病院 MSW課 医療ソーシャルワーカー
                             田村 里子氏 
                          
 ガン対策基本法により全国に拠点病院が整備され、ガン相談支援センターが配置された。それによってガン医療に関する地域の相談窓口として相談支援・情報提供の推進が期待されてきた。地域からの相談は医療面に限定されず、ガンの療養をめぐる様々な思いや介護をはじめ生活全般の相談にまで及ぶようになっている。そのような中で、田村氏は問題を投げかけている。「ソーシャルワーカーや医師による的確かつ適切なアドバイスがなされているのだろうか。」
まず、本人の意思はどうなのか。病院(医師)や家族の思いばかりが優先され、本人たちの意向ではない転院・退院ではないだろうか。どこでどのように暮らし生きていきたいのか。本人たちの意思決定なしで、合意形成未成立のまま事が進んでいないか。病院から、在宅や生活施設へ療養の場所が変わるのである。環境の激変である。退院後の生活をシュミレーションし、通院療養やどのような支援が受けられるのか、不安材料は数知れない。ケアマネージャーや支援事業所との連携も欠かすことはできない。故に本人が納得いくまで話し合いを重ね、不安なく在宅に戻れるよう支援するのが理想である。しかし、病院(医師)・家族の都合で話は勧められ、患者本人は納得せざるおえない状況に追い込まれることは多々ある。そのようなことがないよう、ソーシャルワーカーとしての役割を明確にし、患者本人に寄り添った支援が求められている。

私たち介護に従事している者にとっては、退院支援すべてが終了してからの関わりになる。確かに病院に居れば安心と感じる人もいるが、病院は生活の場ではない。社会と関わりを持ってこそ生きる意味を見いだせると思う。時間はかかるが少しずつでも社会と関わり他者とふれあい、残り少ないであろう人生を悔いなく過ごして欲しいと思う。それが私たちの退院支援だと思う。
最後に、医師・看護士・ケアマネージャーの連携は少しずつだが確実に前進している。そこに、介護士との連携も大切であることを声を大にして提案していきたい。終末の場面には必ず介護士の姿があることを忘れないで欲しい。それでこそ、医療・福祉・介護の連携であると信じている。

7月6日(土)
終末期に担保すべき口腔環境と口腔ケア
12:00~12:30   静岡県立静岡ガンセンター歯科口腔外科部長
                    
がん治療において、その過程で様々な口腔有害事象が発生することは、医療従事者のあいだでは理解されている。H24年4月から「周術期口腔機能管理」という診療報酬上の評価もある。しかしながら、ガン終末期の患者に対しては口腔環境を保つための口腔ケアについては診療報酬上の評価対象にはなっておらず、現場の看護士・介護士・家族の介入で維持管理されている。在宅においてはなおさらで、訪問看護師・介護士が担っているのが現状である。しかし、がん患者が亡くなる直前まで好きなものを少しでも口から食べられる、味わえる、そんな支援が必要であり願いでもある。放射線治療後、その影響で口腔内潰瘍ができたり、歯根部分の壊死等がおき、口からの摂取ができなくなり、胃瘻になってしまう事例が多々あるが、昨今、治療前に口腔内の保全をし、マウスピース等放射線から口腔内を守る研究が進んでいる。
ガン治療だけではなく様々な疾病においても、口腔ケアの必要性が言われている。人工呼吸器装着患者に対しても、1日4回口腔ケアを実施している。口腔内を清潔に保つことで、雑菌の侵入・増殖を防ぎ、肺炎等の疾患を防ぐことができる。なかなか認知されない口腔ケアだが、治療の第一歩は口腔ケアから始まることを忘れてはいけない。
 
 星が丘ホームでも食後の口腔ケアは当たり前。訪問歯科の先生にも、「よく頑張っています」と励ましの言葉もいただいた。末期の口腔がんの利用者さんにも、食後には必ず口腔ケアを実施している。そのためか、肺炎になる利用者さんは皆無と言って良い。毎日の地道な積み重ねが利用者さんの命を守っている。そのことを改めて感じた。これからも、手を抜くことなくしっかりと利用者さんの口の中を観察し、最後の日まで好きなものを口から食べていただけるよう努力しようと思った。そして、これからも良いと思われることはどんどん実行していこうと思った。
# by hoshigaoka-kenn | 2013-07-28 00:00

日本ホスピス在宅ケァ研究会 徳岡八重子

日本ホスピス在宅ケァ研究会   2013年7月6日(土)14:00
シンポジウム4「お口のケァから始まる緩和ケァ」~最期まで,どこでも~       
報告者  徳岡 八重子 (61) 介護支援専門員・施設長
★当初予定されていたコメンテーターの大田洋二郎医師は、6月末研修先のドイツでお亡くなりになり黙祷から始まった。昨年は大会長の医師が目前に癌でお亡くなりになりました。この研究会が「命の限り」患者・家族・医療界・福祉界に、努力を重ねてこられた方々の深い理念を再認識させられ、謹んで哀悼の意を捧げたいと思いました。
★プログラム概要―在宅において医療・介護スタッフを必要とされる方は、病状が進行すると食欲が低下します。その結果、①口を動かすことが低下。→②唾液の分泌の減少。→③唾液が減ることにより感染しやすい。→④雑菌が繁殖し痛みや味覚の変化を起こす。→⑤食欲がより低下する。このサイクルを繰り返すことになり、さらに嚥下機能が低下し、誤嚥性肺炎を発症し,死に至らしめる。
★希望する療養を継続する為に、お口から食事を取れるようお口の環境を整え、適切なケァを行い、食事内容の工夫を行なうことが必要。
★病気の時期、病気の種類、療養の場所に関わらず、『口腔ケァの必要性について』各専門家からまなびあう。
シンポジスト(Ⅰ)歯科医師からは「最期までお口で食べることへの支援」として歯科医師の立場から発言されました。人間の生活の中でとても重要な営みであることを強調されました。「食べられる口作り」のため,多職種の方と連携し、在宅医療のチームの一員として専門性を生かしながら、歯科医の責務として努力されている姿勢に感心しました。脳卒中患者に診られる「摂食嚥下障害」口腔衛生不良状態にともなう「誤嚥性肺炎」、癌の手術後に起こる「気道感染症」、放射線治療や化学療法による「口腔内粘膜症」の症例と対策を学びました。星が丘ホーム設立来『食は命』の精神と、「食べたら磨く」を嫌がられながらも徹底してきた実践に、より確信をもちました。
シンポジスト(Ⅱ)歯科衛生士からは、口に一番身近な専門家として,『歯科保健指導』の実態をお聞きしました。口腔内のトラブルから歯科疾患の重症化、摂食障害の発現など、リアルな報告に「あないになるまで~!」と絶句せざるを得ない状況のスライドから、適切なケァ治療で改善するまでの過程に、国民みんなが保険で守られ、安心して治療を受けられる社会の実現をと思いました。
シンポジスト(Ⅲ)看護師の立場からは、「治療期から終末期のがん患者に見られる口腔合併症とその対策」としてがん治療の質を左右するほどの重要な治療法として報告されました。おこたると口腔合併症により,経口摂取の楽しみを奪われ,顔貌の変化や口臭により患者本人のみならず周囲の人々に不快感を増すなど、QOLの低下が引き起こされる。その様な状態の方々を見ることはないだけに、痛々しいスライドに衝撃を受けました。
シンポジスト(Ⅳ)管理栄養士の立場からで、今までこの研究会において管理栄養士の立場からの発言を聞いたことが無かっただけに興味深い内容でした。『口から食べるということ・・・』介護保険の導入により「在宅訪問栄養指導」が可能になった。いかに在宅での生活を長続きさせるかを第1に考えて、食べたいものを食べたいスタイルで提供できるよう努めておられる。実践例を述べられたが、人を思う気持ちや家族の絆の深さに触れ、『食べること』『生きること』の意味や大切さをお話しされた。『食べる意欲が、生きる意欲へつながる』そんな支援が出来ればと日々活動されている。星が丘ホームで大切にしていることで、「おんなじやで~!」とエールを送りたい気持ちでした。
星が丘ホームでは終末期に入ると『命のスープ』を家族に作ってもらい、家族さんの介助で食べてもらっています。無農薬の玄米と昆布と梅干で作ってもらいます。命を受けた時、初めて食べさせてもらった「おかゆ」、命の終末にお返しの「玄米スープ」を最愛の人から差し上げるのです。私達はその思いを共有します。命のバトンタッチを見届けるのです。

2013年7月6日(土)16:00

一般口演『認知症・施設・高齢者』部会
★①ぐれいす村のユニットケァ~いろうから三食経口摂取になった認知症の入居者のこと~
★②特養でのターミナルケァ~いろうを選択しないという決断の中でー
★③老健施設における糖尿病管理について
★④野田寿子の人生を・・・~最期の場面でのホスピタリティ~
★⑤認知症になって暮らしていくことー癌とともに生きるー
★⑥特別養護老人ホームでともに生きる
★⑦悲がん患者の施設での看取りにおける現状と問題点

全国でそれぞれの現場で頑張っておられる方々の実践に励まされもし、刺激を受けました。どの発言も利用者・患者に寄り添い、その方の尊厳を守る姿勢が素晴らしかった。星が丘ホームのスタッフも『井戸の中のカエル』状態から脱却し、介護界の意識を変え、現状の保険制度をよりよいものにする思いを共有できる力を持ってもらいたい。学んで欲しいと実感しました。

2013年7月7日(日)
ポスターセッション
ポスター会場は1階と3階に別れて展示してあり、(沖縄大会では参加しましたが)兵庫県からは「姫路ひまわりの会」「関本クリニック」「神戸大学院保健学研究科」「神戸西在宅ネット」(新国内科も)「神戸共同病院・阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」が発表されています。
圧倒的に医療界からが多いです。もっと多職種の方々の発表がなされるべきです。星が丘ホームも毎年積極的にポスター発表の機会を逃してはいけないと思いました。毎年の総会の発表は『新しい奇跡!』「あらたな伝説が!」という介護実践が報告されています。日々よりよい介護のためにも、5年以上の経験者が多数を占め、介護福祉士が8割近い現場は多くはありません。しかし、このことに甘んじ、馴れ合いにならないよう、日々精進していく気風を作り上げていかなければいけません。
# by hoshigaoka-kenn | 2013-07-25 15:37

介護保険であなたの生活は守れますか?

この研修報告をされているのは、星が丘ホームで長期お泊りサービスをされている
利用者さんです。お名前も了解済みです。

介護保険であなたの生活は守れますか?    
              2013年1月14日(祝)
              垂水レバンテ3F美術室 14:30~16:00

星が丘ホーム徳岡八重子を中心に学習会。
現在65歳以上の住民が負担する介護保険料は月額4972円(全国平均)で、
年金から天引きされている。介護保険を利用する当事者家族としては、
いろいろな事例があり問題を抱えている。
新聞紙面にも見かける「平穏死」から考える「胃ろう」にも功罪があり
人生の終末期にあっては選択も難しいと思います。
「胃ろう」とは、食べられなくなり胃に栄養を送り込んだり、
自発呼吸が出来なくなり、首もとに穴を開けて人工呼吸器を取り付けたりの
延命措置は医療現場で行われている。
法案を当てはめてみると末期ガン、進行性で治療法がない難病で死期が迫る患者が
対象となりうる。
法案は二つの案があり、延命をやめるタイミングが違う。
追加の措置をしない「不開始」に限るものと、今行っている措置の「中止」まで含むものだ。
我々夫婦は10数年前に発足した尊厳死協会に入会し自分達二人の先のあり様を
見つめています。所謂「リビングウィル」のことです。
皆様はどの様に思われますか。
お考えを一つ二つ聞かせて頂きたく改めて問いかけさせて頂きます。
                                   以上
       1月28日記 星が丘ホーム第一利用者 山下 翠
# by hoshigaoka-kenn | 2013-02-15 00:00

日本ライフ協会専門家向けセミナー

日本ライフ協会専門家向けセミナー
2013年1月23日(水) 13時~(兵庫県民会館)

◎「みまもり家族制度」 講師  生駒貴徳氏(公益財団法人日本ライフ協会)
◎成年後見制度について 講師  中西康友氏(弁護士)
                       介護支援専門員 初世 栄
 公益財団法人 日本ライフ協会主催の「みまもり家族制度」・「成年後見人制度」のセミナーに参加しました。
先日、一人暮らし世帯の数が標準的家族の世帯数を上回りました。2025年には3人に1人が65歳以上という社会の中で、昔ながらの家族制度・地域社会の崩壊がもたらした問題点ではないでしょうか。
「みまもり家族制度」は、介護保険ではカバーできない部分《身元保証支援》《暮らしのサポート》《万が一の時の支援》《葬儀・納骨》の4つの視点で支援していこうというものでした。
星が丘ホームでもNPOの役割の一つと考え、《暮らしのサポート》の視点から、ボランティアの拠点として「ふれあいサロンきくの会」において活動を開始しようとしています。団塊の世代が退職を迎え、第二の人生を踏み出すお手伝いとして、ポイント制のボランティアを提案し、「自身の親の世代を支援しよう」と呼びかけています。一生懸命家族や社会のために働いてきた方達が、これからの長い余生を充実したものにするための第一歩として、ボランティア活動に参加をする。素晴らしいことだと思います。
庭の手入れ、年末の大掃除、家具の移動、ゴミ出し、電球の取り替え等、快適な生活していく上で必要なことですが、誰に頼めば良いのか。そのような方たちと、何か役に立つことがしたいという方たちの橋渡しができればと思っています。
また、母子家庭・父子家庭の子どもたちの、学童保育終了後の支援等も考えております。支えるべき地域社会が崩壊して行くのであれば、また新しい形の地域社会を創作していけば良いのではないでしょうか。
皆様のご支援・ご協力お願いいたします。

※日本ライフ協会では、「家族の絆」を見直す一助として、ご両親に送る『感謝の手紙コンクール』を実施されております。皆様!ぜひ応募をしてくださいね。
# by hoshigaoka-kenn | 2013-02-13 16:17

「おむつはずし学会」研修を受けて

「おむつはずし学会」研修を受けて
西川勝      2012.12.9
                              成松信子
認知症を学んだ人が陥りやすいこととして、認知症について学んでいるので理解しているという気になってしまうこと。知っている、正しいと思うことほど危険なことはない。
経験を踏んでいることでみんなそのようなものだとみてしまうことがよくあるもの。
今、悩んでいる人と互いに悩みましょう。
認知症を語る時、相手の顔はない。(遠くから見ている)
自分にとって父であり母である場合。(近くから見ている)
遠すぎても近すぎても見えにくいもので、隣にいる存在が良い。
人が人に関わる時、
エロス(自分にないものにひかれる)自分にとっての好き嫌いがある
    アガぺ(神の人間に対する愛)おせっかい、自分はいい人、相手のこ
                  とを救える、何かできると思っている
自分に正義がある、(福祉系は多い)
    フィギア(友愛)好きでもない相手、自分には何もできない時でも相
手に近づく、
フィギイア(友愛)の関係で関われることが理想的だという。
お互い様から始まる関係は良い。何もできない人間として、何もしないでその
人の傍に居れるかどうか。理解もできない、好きでもない、けれど傍にいるこ
とができるか?お互いさまでいてあげられるか。自分は何もしてあげていない
傍にいるだけの人として関わる。
記録について
遠いところから見ている記録は自分をきって書いている。(看護記録、介護記録)
自分との関係性(関わり)の中ではじめて出来事がある。にもかかわらず、「不
穏だった」「拒否があった」などの記録になってしまっていることが多いのでは
ないか。
鷲田清一
ケアの概念をどこまで広めるか?
看護、介護、援助、だけでなくすべてに広げていきたい。
聞く(聴く)待つ・・・話してもらうためには待たなければならない。
何もしないように見える行為は何かをすることよりも大変しんどいことである。
人の弱さ…貧困。村八部とは昔、村には10の仕事があった。コミュニティー
がありお互いさまで助け合って暮らしていた。村八分になっても2分だけは助
けたという。村八部になっても葬儀と火事の消化作業は助けていた。
昔の人々は命のケアを地域のなかでお互いさまで当たり前に助け合っていた。
日本は行政が要請して資格を取得させてプロの仕事としてしまった。医師、教
師、弁護士看護師、介護士、調理師など・・・・・・。
昔の人はほとんど当たり前にできていた事柄が、現在社会ではできなくなって
きている。
なぜならばプロの仕事として任せてしまったから。
昔はおばあちゃんから母に、母から娘にと色々なことが教えられ伝えられてき
た。掃除、料理、薬草、解熱や痛み止め、出産、しつけ、教育、などいきてい
くための知恵が伝えられてきた。
命のケアが公的に行うようになってきた結果として、出産、介護、エンゼルケ
アなど、すべてがプロしかしなくなってきた。命のケアについてもお互いに助
け合うことが無くなった。
税金をはらっているからと言ってクレームをつける事しかしない社会になって
きている。クレームを聞くのもプロが費用をとって聞く。
もう一度昔のような社会に近づけるようにしたいものだ。
民俗学者の柳田邦夫さんは、80年前は共同貧困していたが、今ほど貧困が厳
しくはなかったと言う。今は貧困が孤立してきた孤立貧だと言っている。
協同で物事にあたることが少なくなっているから孤立化した社会になってきた
のではないだろうか。
高齢者は、自分はしてもらうばかりで申し訳ないというプレシャーをもつよう
になる。自分が、ひとつづつ、ひとりで、できることが少なくなってきている
とわかるから。自分の存在の資格を問い、自分はここにいていいのかなあと思
う。社会がそういうさみしい社会になってきているのではないだろうか。
「できる、できない」で測るから。ここにいていいの?と思うようになる。
「できる、できない」ということ
出来なくなって初めてできることもある。できないからこそできる人よりもで
きることがある。
伊勢真一のドキュメント映画「えんとこ」主人公の遠藤さんは寝たきりでの生
活を10年近く続けている。不自由な体を引き受けながら自立したいと強い意
志を持っている。介護をしてもらう人も自分で選んだ。経験も資格のない若者
に24時間3交代で介護をしてもらう。困難を経験することを教える学び。
「たぶん、同じことをほかの人に話しても、軽くとらえられるけど、遠藤さん
はちゃんと聞いてもらえた」「あなたが障がいを持っていてよかったと思う、一
言一言聞きもらさないように聞くことができるから」
私だってできると発見できた。何も自分ではできない人から、私だってできる
ことがあったと教えてもらえた。弱さをさらけ出すことで。
自分のことを担いきれない不完全な存在だけど・・・。
若者たちは遠藤さんと関わることで活き活きとした表情になっていった。
「できる、できない。」「強い、弱い。」で人を評価する社会でよいのだろうか?
履歴書は自分の誕生日と名前以外は評価欄になっている。
「何ができるか」で人を評価することから離れたいものだ。
試験が当たり前になって、試験により選別が行われることが、人間にどれだけ
のダメージを与えているかがわからなくなっている。
人間を属性で見てしまっている。人を学力や体力などの物差しではかるように
なっている社会。
代替可能性…あなたの変わりはいくらでもいます。この仕事はあなたでなくて
もできます。さみしいことです。
代理可能性・・・あなたができなかったら誰かがやってくれる。あなたの仕事
としてあなたの代わりにやってもらえますよ。このような関係性にしたいもの
です。
いざとなったら助けてくれるネットワークがある。これこそが安心できる社会
ではないでしょうか。
そんな社会を目指し、お互いさまの関係で、共に生きていける地域社会を一緒
につくりたいものだと思います。
# by hoshigaoka-kenn | 2013-01-12 00:22