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日本ホスピス在宅ケア研究会 蕨岡和子

報告者  蕨岡和子(56歳)訪問介護管理者・介護福祉士
2013年7月6日9:30~10:00
1、講演  葬儀のいろいろ
                           村瀬 法寛氏
葬儀とは
人は 誕生し人生を生きやがて死を必ず迎える
人が亡くなると一族、知人等が一同に会し、亡くなった方を思い出し、敬意   
を払いこの世からあの世へと送り出す。
  また、肉体とは別れ、火葬され形のない魂となる事を納得するための儀式でもある。
  たくさんの宗派があり、宗派によって葬儀の内容は異なるが世界観では思想も異なり価値観も違い表現の方法も様々である。
  現代でも時代の流れで考え方や方法も変わってきている。よくあるのが、家族葬―核家族の現代では、たくさんの参列者に送られるのではなくひっ  
そりと送られるようになってきている。
  戒 名―宗派のお寺に没後の名前をつけてもらう。現代では死んでから名前をつけてもらってもあの世に行った時誰なのかわからないだろうと自分の名前を戒名にする人が増えてきている。

2、これからのエンゼルケアのために考えておきたいこと  10:00~11:30
 〇エンゼルケアの検討のための3つのキーワード
 ①説明―死後変化や今後にまつわる情報提供
②相談―ご家族中心が伝わるよう、希望、言いやすい、気づきやすいコミュ  ニケーション作り
③提案―エンゼルメイク以外にも看取りの場面となる様々な提案
 ※参考となる取り組み(野の花診療所の「抱きうつし」)

〇私達は「なくなった方のセルフケアの代理」
①ご遺体は「人」
②私達は「セルフケアをする存在」、ご遺体は「セルフケアができない状態」
③セルフケアを「代理」する
その人らしく身だしなみを整えるのはその人の社会性を取り戻す行為。
顔は周囲の人の記憶の中に存在し、社会的に共有される部分でその人らしい顔にする行為はご家族の心にもたらすものが大きい。

星が丘ホームも今年に入り、3人の方が亡くなられた。最後のご挨拶にとお顔を拝見させていただいた。お顔を見ていると、それぞれ、その方らしい人生の締めくくりを感じた。

エンゼルメイクは今年で2回聞いたのだが、今年は、野の花診療所の「抱きうつし」の発表に興味があったので参加した。

※野の花診療所 発案者 長石淳子

抱きうつしは4~5年前から始められた。野の花診療所にあまり流行っていない葬儀社がやってきた。遺体を運ぶストレッチは、動かすとキイキイと音がしてうるさく徳永先生がキャスターに油をさすと遺体のある部屋につく頃、音は止んだ。今度は、シートを見ると、ボロボロ。これではどうも~ そこで、始めて抱きうつしが始まった。
☆抱きうつしをしたい
・最後にその人を抱きかかえることの意味
 幼少の頃、おんぶをしてもらった、抱いてもらったことを思い出す。
・重さを知る
 やせてしまったなあ、抱く事で「軽くなったなあ」
・残されたあたたかさを知る。あるいは亡くなった冷たさ、硬くなっていく身体を知る。なくなった事を実感する。
・家族の手の元へ返す。
 病院、施設から家族の元へ。
・亡くなった方へみんなの素手が触れることの大切さ。
 ゴム手袋をしていて違和感があった、最後の顔のケアまでゴム手袋をしていた。ゴム手袋をしていると何も伝わってこない。

☆在宅での看取りに取り組んで
・抱きうつしは病院、施設だけではなく、在宅にもあった。
・なくなった後、急にあわただしくなる家族に「10分だけ手をとめて旅づくろいに時間をください」と声をかけよう。
 家族を落ち着かせる為にはいいこと。
・ある物をかき集めての在宅エンゼルケア。なにもないと工夫は生まれる。
・復元をどう捉えるか
・顔にかけるハンカチはいるのだろうか
 葬儀社のハンカチは真っ白。玄関、お棺に入るときハンカチをかぶせずその方のありのままを見てもらいたい。
 野の花診療所ではハンカチの隅に11年間刺繍をしつづけてきた。使ってもらえなくてもそっと亡くなった方の枕元においておくと必ずといっていいほど使ってくれていた。
抱きうつしをすることで亡くなった方の顔を見つめ直す事ができる。
思いが甦ってくる。
先にも書いたが、今年、星が丘ホームも亡くなった方が3人いた。4月の初めに
亡くなったIさんは第2ホームの2階で眠るように亡くなられた。葬儀社が来られ白い布に包まれ葬儀社の方が抱きかかえ、リフトを使い降りられた。
その時ふと思ったのが、親族も含め男性が数人いたので、~みんなで抱いておりませんか~声に出して言えばよかった。「抱きうつし」を聞いて後悔した。

報告者  徳岡 八重子 (61) 施設長
 
 夜はエンドレスのスタッフ会議で、連日互いの講義の感想を述べ合い日々のケァの反省会だった。今回の長崎行きは管理者全員が参加してくれた。(自費で・・)将来は研修会の予算が立てられるように経営努力を考えたいと切に思う。日々、命と向き合う現場では学びあう土壌が無ければ守りきれない。
 ターミナル期の方々を抱えるホームとしてはなんとか、スタッフの力量を高め安心して過ごして頂ける土台作りをと呼びかけ、3年前の沖縄大会には15名参加してくれた。まさに大会中にも変化があれば戻る事も想定内の状況であっただけに、「抱きうつし」は全員の心に深く残った。
 末期の口腔ガンで最期の闘いをされている九十代の女性が16日に静かに息を引き取られた。4月初旬には往診医からは家族への覚悟を伝えられた。私達も最悪の状態を想定しながらも、どのスタッフが関わっても安心できるよう対処を話し合った。ご家族も毎日口から食べられる物をと「リンゴの絞り汁」を持って来られた。「おいしいよぉ!」と笑顔で飲まれた。口腔内をガンが浸出し注いだ飲み物が顔からあふれ出す状態に近づいたが、それからも毎日の「絞り汁」は最後の日まで続いた。昼食後4時過ぎには自力排便もし、あわただしい夕食時の頃、廻りの喧騒を感じながら静かに息を引き取られた。弁当配達のスタッフが「帰ったよ。」と声を掛けるが返答なく、直ちに駆けつけ、家族・往診医に連絡する。スタッフらが次々に駆けつけてくれ、ひと撫で、ひと撫で清拭し、お気に入りの洋服に着替えた。葬儀社の方がベッドからストレッチャーへの移動をと言われたとき、「皆で玄関まで送らせてください。」と。ご家族と当番のスタッフ非番のスタッフらで「抱きかかえ」、軽さと穏やかなお顔を見つめながら「抱きうつし」をした。「お先に逝って待っててね。」と送りだした。

2013年7月6日(土) 14:00~16:30
映画「いつか読書する日」上映会
あらすじ ~不器用すぎる大人の恋物語~
報告者  蕨岡和子(56歳)訪問介護管理者・介護福祉士
 舞台は(撮影地は長崎だが)日本のどこかの坂の多い町。この町に暮らす、毎朝牛乳配達する中年女性(田中裕子)と、末期癌の妻を自宅で看病する中年男性(岸部一徳)の関係が、色んなエピソードを通して、少しずつ少しずつ紐解かれていく。男も女も同じ繰り返しの中で生きていて、一見、何が楽しいのかサッパリ分からない。しかし次第に、そんな2人の、決然と町に根を張って生きる姿、その表情に、憧れさえ覚えるようになる。些細な生活の小さな事件を映し出していく中で、微かに揺れる彼らの気持ちやその変化が、克明に観客に伝わってくる。2人の運命の糸が再び絡みあう瞬間は、非常に緊張感の高い、低温爆発のような心震えるシーンとなっている。無表情の中に感情を滲ませる主演の2人が実にうまい。牛乳配達の音や朝焼けの色、平々凡々な日常の中でもフと何かを甦られてくれるような瞬間を、「独立少年合唱団」の緒方明監督がとても細やかに丁寧に掬い上げた、好感の持てる大人のメロドラマだ。
あらすじにはないが冒頭に高校生時代の中年女性が映し出される。教師が「大場の作文が賞をとったぞう」内容の初めに「私はこの街が好き。この街には知っている人がたくさんいる。この街からでたくない」
学校の帰り道、いつも立ち寄る本屋。本に目をとうし、フと外を見ると中年女性の母親と男性が楽しそうに自転車で通過していく。高校生の中年男性が中年女性の側に寄る。母親と一緒にいた男性は中年男性の父親。
場面は、早朝の中年女性が牛乳配達をする場面にかわる。急な坂道の多い街。
意を決して登っていく先は中年男性の自宅。牛乳配達の後、スーパーのレジ打ちが彼女の仕事。毎日、自転車で通勤する。彼は、市役所の福祉で働いている。
市電に乗っての通勤。彼女は毎日彼が市電に乗る為、駅にいるのを知っている。彼も、彼女が同じころ自転車で駅を通過していくのを知っていた。でも、二人は気づかない振りをしていた。この映画には、児童虐待も映し出されている。
福祉の面でも児童相談所がでてきます。表に出ない彼らの苦悩と決断。
児童の行く末をYES・NOの用紙で決めてしまうのにはショックだった。
両親のいない彼女を友人の母親が見守ってくれている。友人の母親は認知症の夫を介護していた。彼女もまた友人の母親を支えていた。夫の認知症の役も実にうまかった。徘徊を何度も繰り返し探し出す。友人の母親は「この人ね、昔に向って生きているのよ。なんだかどんどん元気になっていく」「二人とも長生きしてね。いろんなことがわかってくるから、面白いから」。
介護職の私にとってこの場面は現実味がありました。おこがましいが介護されている家族の胸中がわかったような気がした。
彼の妻は末期癌。在宅で介護をしている。中心静脈栄養の点滴のバックを交換したり、清拭をしたり、訪問看護士も登場します。在宅医療が日常生活に溶け込んでいるのが自然に映し出されていました。
点滴のバック交換の指導は1回しただけで岸部一徳さんはOKをだしたと後の両監督のトークショウで話されていた。すごいことらしいです。
妻が亡くなる前に彼女に会いたいと申し出ます。彼が彼女の事を35年間思っていたこと、死んだら、彼と一緒に・・・と言い残して亡くなります。
35年前、彼女の母親が不慮の事故で亡くなったのは母親と彼の父親が不倫をしていて二人一緒に事故でなくなった。そのことが狭い街で二人を引き離してしまった。と、思っていたら、実はそれは誤解で二人が高校生の時、彼女が、何かで彼を笑ったのが原因だった。彼の妻が亡くなってから、二人は、普段と変わらない日々を過ごす。が、いつしか、朝、電車が自転車を追い越す時、二人はお互いの存在を確認する。この場面が絶妙に描かれていました。私は、この場面がお気に入りです。そして、結ばれる。翌朝、彼女は牛乳配達に出かけていた。一人目覚めた彼は、目の前に、35年間買い続けたと思う書籍を発見。彼は35年間の彼女の思いに呆然とした。最後は、虐待を受けていた児童が川で溺れかけ、助けようとした彼が溺れて亡くなってしまう。遺体があがったときの彼の顔は笑っていた。こころ残りがないかのように。彼女の恋が終わった。
彼女の変わらない牛乳配達からの日常が始まる。
何故、この映画?題名と今回のテーマのつながりは?
この映画には、二人の35年間の淡い恋と二人を取り巻く人たちの医療・介護・福祉に関わる奥深いものが感じ取られました。
by hoshigaoka-kenn | 2013-07-30 00:00
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